瑞祥院〜金比羅堂

瑞祥院(ずいしょういん)は臨済宗の寺院で、文和元年(1352)、足利尊氏の開基により創建されたと伝えられています。また、瑞祥院の裏山は、通称を羅漢山(らかんやま)ともいい『羅漢山の夕照』として、江戸崎八景の一つに数えられる景勝の地です。

【画像上】本堂の入り口正面には「ひょうたん池」があり、江戸崎城の外堀の名残といわれています。ひょうたん池には、天保14年(1843年)に江戸崎出身の江戸商人(浅草花川戸の醤油酢問屋)、伊勢屋宇兵衛(いせやうへい)が架けた石橋が残されています。

本堂を正面に見て、右手には金比羅山があります。石段を登ると頂上に金比羅堂があります。

【画像右下】2011年の東日本大震災により、灯籠や山の斜面等に被害を被りました。

2011年の東日本大震災により、金比羅堂付近の灯籠や山の斜面等に被害を被り、2013年新しい拝殿および本殿が建立されました。

現在では、新しく手すりが設置されるなど大きく生まれ変わり、「えどさき豆まき巡り」等の行事の際にはたくさんの参拝客で賑わうようになりました。

羅漢山〜五百羅漢

瑞祥院の本堂を裏手にまわり、うっそうとした竹林の石段を登り山頂に着くと、目の前に忽然と現れる石像群が「五百羅漢(ごひゃくらかん)」です。石像群の中央に眺望のよい「金毘羅神社(こんぴらじんじゃ)」があります。ここからは、江戸崎のまちなかがほぼ見渡す事ができます。

五百羅漢は、盲目の兄の眼が見えるよう願をかけて、全国の寺社 を廻った江戸崎の豊嶋和七(としまわしち)という人が、500体 の石造造立(ぞうりゅう)という考えに至り、約20年の歳月を かけ、文化元年(1804)に完成したものです。

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